(原 審)神戸地方裁判所 平成26年6月25判決(同庁・平成25年(ワ)第467号 損害賠償請求事件)
(控訴審)大阪高等裁判所 平成26年11月21日判決(同庁・平成26年(ネ)第2088号、第2473号 損害賠償請求控訴、同附帯控訴事件)
以下は、交通春秋社刊【交通事故判例速報】(No.586)に掲載された以下の判例評釈の内容をウェブサイト用に再構成したものです。
後遺障害が残存しない事案において後遺障害診断書取得費用が損害として認容された事例
1 事案の概要
事故日時 平成21年9月24日 午後9時10分ころ
発生場所 神戸市西区の片側1車線の対面通行道路上
原告車両 X1(夫)運転、X2(妻)同乗の普通乗用自動車(「X車」)
被告車両 Yの普通乗用自動車(「Y車」)
事故態様 信号待ちのため停止中の原告車に被告車が追突したもの
2 訴訟提起までの経緯
(1)治療経過
事故発生後、Xらは事故現場付近の総合病院に救急搬送され、いずれも「頚椎捻挫、腰椎捻挫、頚椎・腰椎等損傷疑い」の診断を受けた。
そして、Xらはそれぞれ同病院にもう1日ずつ通院した後、事故の10日余り後から自宅近くの整形外科での通院治療を開始した(この時点での診断名は「外傷性頚部症候群」であった。)。
その後、Xらは同整形外科への通院を継続していたが、事故から約1年3ヶ月が経過した平成22年12月初旬ころ、Y加入の保険会社より治療費立替払い終了の打診が行われた。
このため、Xらは、平成23年1月8日、上記整形外科において、平成22年12月25日を症状固定日とする自賠責保険提出用の後遺障害診断書の作成・交付を受け、同日、後遺障害診断書作成費用として5250円(税込)をそれぞれ支払っている(同診断書記載の実治療日数はX1が77日、X2が28日であった。)。
なお、この時点でもXらは頚部痛の持続を自覚していたため、X1においては平成23年5月まで、X2においても同年4月まで、それぞれ自費にて同整形外科への通院を継続している。
(2)後遺障害診断書の記載
X1、X2とも、傷病名は「外傷性頚部症候群」、自覚症状は「頚部痛」というものであり、「事故直後から頚部痛が出現し、治療によって軽減したが、現在まだ頚部痛が残存している。今後も頚部痛が持続することは医学的に推定できる」との記載であった。
また、X1、X2ともに、頚椎部について若干の運動障害がある旨の記載がなされていた。
(3)自賠責保険の後遺障害等級認定結果(非該当)
XらはY加入の自賠責保険会社に対し後遺障害等級認定(事前認定)申請を行ったが、X1、X2いずれについても「頚部に器質的損傷が認められない」等として非該当の判断を受けている。
その後、平成24年5月16日、Xらは上記認定結果に対し異議申立てを行ったが、いずれも「非該当」との既認定結果が維持された。
(4)調停手続から本訴提起へ
なお、前記異議申立て手続と前後し、平成24年2月、YよりXらに対し、簡易裁判所での損害賠償額協定調停の申立がなされた。
この調停手続において、Xらは、「自賠責保険の認定結果如何に関わらず後遺障害診断書取得費用は事故による損害と評価すべき」と主張したが、Yの賠償額提示ではこの点は除外されていた。
結局、双方の主張の隔たりが大きく、同調停手続が平成25年2月に不調となったため、同年3月、Xらにて神戸地方裁判所に損害賠償請求訴訟を提起した。
この際、Xらは後遺障害の残存やこれに基づく損害(後遺障害逸失利益、後遺障害慰謝料)の発生は主張しないものの、後遺障害診断書取得費用については「後遺障害の有無・内容を判別するために作成されるものであり、その取得自体について事故と相当因果関係がある」として損害に計上していた。
これに対するYの反論は、大要「Xらは後遺障害非該当であり、この事実は後遺障害診断書取得時においても変わらないことから、同診断書の取得自体も本件事故との相当因果関係を欠く」というものであった。
3 争点
自賠責保険において非該当の判断がなされた被害者について、後遺障害診断書の取得費用の支出が事故と相当因果関係ある損害と評価できるか。
4 裁判所の判断
(1)原審裁判所の判断(消極)
平成26年6月25日言渡しの第一審判決において、裁判所は「(Xらは)後遺障害について自賠責保険において非該当とされ、本件においても後遺障害に関する損害を主張しておらず、後遺障害診断書は本件の立証に必要な資料ということはできないから、本件事故による損害と認める事はできない。」とし、X1、X2いずれについても後遺障害診断書取得費用を損害と認めなかった。
(2)控訴審裁判所の判断(積極)
他方、前記(1)の原判決が不当であるとしてXらにて控訴を行ったところ、平成26年11月21日言渡しの控訴審判決では、後遺障害診断書について「Xらの症状の推移を客観的に立証する有用な資料であるから、本件訴訟に必要なものといえ、この支出を余儀なくされたことも本件事故による損害というべきである。」として、X1、X2いずれについても後遺障害診断書取得費用を損害として認めている。
5 各判決の内容の分析
(1)原審裁判所の判断が不当であること
原判決は、本件で後遺障害診断書取得費用が損害に該当しない理由として
①Xらが自賠責保険の後遺障害等級認定においていずれも非該当とされていること
②Xらが本件訴訟で後遺障害に関する損害を主張しておらず、本件の立証に必要な資料ということはできないこと
の2点を挙げる。
しかし、自賠責保険提出用の後遺障害診断書は、事故により人身傷害を被り、かつそれが一定程度に及ぶ場合に、後遺障害残存の有無を確認するために取得される医学的資料である。
また、用紙にも明記されているように、後遺障害診断書は「自動車損害賠償責任保険における後遺障害認定のため」に取得時点での被害者の症状の内容や主治医が症状固定と判断した時期を記載するものであって、そもそも「後遺障害に基づく損害の立証のため」に作成されるものではない。
当然のことながら、後遺障害診断書を取得した後、自賠責保険の認定において(あるいは訴訟の事実認定において)検討資料とされた結果、「後遺障害の残存はない」旨判断されうることも当然想定されているが、このことは何ら上記のような後遺障害診断書取得の必要性を否定する事情とはならない。
特に、交通事故実務においては、傷害の程度や治療期間が一定程度に及んだ場合、後遺障害残存の有無を確認するために後遺障害診断書を取得し自賠責保険に等級認定申請を行うという実態が存在している。
そして、この際の後遺障害診断書取得費用の支払いは、事故がなかったならば全く理由も必要もない支出であることは明らかである。このため、「損害の公平な分担」という不法行為制度の趣旨に照らしても、その取得費用支出の負担は、非該当となったことを理由に、被害者の側に転嫁しうるものではない。
したがって、後遺障害診断書取得費用は、後遺障害残存の有無(自賠責保険の認定の結果)や後遺障害に基づく損害主張の有無にかかわらず、事故と相当因果関係を有する損害として認められるべきものであり、原判決の判断が不合理であることは明らかである。
(2)控訴審裁判所の判断について
というような主張を控訴理由書において相応の頁を割いて主張した。
その結果、Xらの主張に一定の理解が得られ、控訴審判決では、一転して後遺障害診断書取得費用が事故による損害と認められることとなった。
この控訴審裁判所の判断は合理的かつ説得的なものと評価できる。
5 検討
(1)本件控訴審判決の意義
後遺障害診断書は、月ごとに発行される診断書や診療報酬明細書と異なり、被害者自身が医療機関の窓口で5000円~1万円程度の費用を支払って取得することが多い。
なお、国の定める「自動車損害賠償責任保険の保険金等及び自動車損害賠償責任共済の共済金等の支払基準」(平成13年金融庁・国土交通省告示第1号)では、自賠責保険金(傷害部分)の支払い対象となる「診断書等の費用」として「診断書、診療報酬明細書等の発行に必要かつ妥当な実費とする。」と定めている(同基準第2の1(1)⑩)。
そして、後遺障害診断書も上記にいう「診断書」に含まれうるが、自賠責保険では、等級認定の結果いずれかの等級に該当すると判断された場合に限って、その取得費用を「必要かつ妥当な実費」として保険金支払いを行う運用が採られている。
他方、任意保険会社でも、認定の結果非該当となった事案では、後遺障害診断書の取得費用の精算や示談案での損害計上を拒否する対応をとるものが多い。
このため、非該当となった被害者は、自賠責保険からも任意保険会社からも既に支出してしまった後遺障害診断書取得費用の精算、回収が受けられないまま示談を余儀なくされるケースが少なくなかった。
交通事故賠償の実務上は、後遺障害診断書を取得し、後遺障害等級認定を受けてみて初めて後遺障害残存の有無が判明するという実態があることに照らせば、これは被害者にとってやや酷なように思われる。
他方で、訴訟に至ったケースでも、これまで後遺障害診断書取得費用の損害該当性が正面から問題とされた事案は多くはなく、認容された事案も後遺障害に基づく損害立証のための費用として認めるものが中心であった。
そのため、本件の控訴審判決の判断は、自賠責保険の認定において非該当とされ、かつ訴訟で後遺障害に基づく損害を主張していない場合であっても、後遺障害診断書取得費用が損害として認められうることを高裁レベルで明確に示したものとして、相応の意義・先例的価値があるものといえる。
(2)判決理解の際の注意点
但し、同控訴審判決が、「Xらの症状の推移を客観的に立証する有用な資料であり、本件訴訟に必要なもの」と指摘し、「当該訴訟での立証上必要な資料か否か」という視点を持っていることには注意が必要である。
すなわち、同判決も、後遺障害診断書の取得と費用支出の事実のみで損害として認めたのではなく、あくまでもその記載内容や原告の主張内容に照らし、後遺障害診断書の取得が訴訟の立証上必要であると認められなければならないという基準を提示しているのである。
これは、交通事故賠償実務において、診断書料その他の文書料が「損害賠償請求関係費用」として捉えられること(「民事交通事故訴訟 損害賠償額算定基準」参照)に整合的な考え方であると言える。
そのため、後遺障害に基づく損害を主張しない事案において、後遺障害診断書取得費用が損害として認められるためには、
①後遺障害診断書が証拠として提出され、
②それが立証上不可欠の資料として用いられていること
が必要であると考えられる(取得費用の領収証のみを証拠として提出しても、損害としては認められなかったであろう。)。
また、取得・支出の事実の有無ではなく「訴訟における立証上の必要性の有無」という枠組みでの判断であることから、今回の控訴審判決が自賠責保険や任意保険会社の運用・対応に及ぼす影響は大きくはないであろう。
(3)本件における後遺障害診断書の利用の態様について
最後に、後遺障害に基づく損害を主張しなかった本件で、どのような形で後遺障害診断書を証拠として提出していたかについて、若干説明が必要と思われる。
すなわち本件では、Xらの治療期間が相応の長さに及んでいたところ、はたしていつまでが相当な治療期間であるかという「より大きな争点」が存在していた(症状固定と判断された以後も、Xらが症状改善のため自費にて通院を継続していたことは前記の通りである。)。
そして、Xらは、この点の立証のため、主治医が「症状固定」と判断した時期や、未だその時点でもXらに頚部症状が残存していたことを示す証拠として後遺障害診断書を提出・引用していたものである。
その結果、これらが主張上有効な資料として機能していると判断されたため、前記のような結論となったものと思われる。
なお、控訴審判決においてこれら後遺障害診断書が「Xらの症状の推移を客観的に立証する有用な資料であるから、本件訴訟に必要なもの」と指摘される一方で、肝心の「より大きな争点」については、いずれの審級においてもXらの主張は排斥されてしまったのであるが、それはまた別の話である。
以上
0コメント