弁護士が業務上のミスで依頼者などに損害を与えてしまったとき、その損害賠償責任を保険金でカバーしようという弁護士賠償責任保険(略称「弁賠保険」)という保険商品があります。
全国弁護士協同組合連合会が取り扱う保険商品(引受保険会社は損害保険ジャパン日本興亜)で、1請求ごとの金額(1億円~5億円)と保険期間中の保険金支払上限額(3億円~15億円)でいくつかのグレードに分かれています。弁護士一人当たりの保険料は年額3~6万円程度で、生じるリスクの内容・規模を考えると、それほど高い感じはありません。
大多数の弁護士はこの弁護士賠償責任保険に加入していますし、弁護士会の業務の中には「限度額3億円以上の弁護士賠償責任保険に加入していなければならない。」という制約が設けられているものもあったりします。
いわば他人のミスを仕事のきっかけにすることの多い弁護士ですから、本来、その業務に過誤があってはいけないんです。
あってはいけないんですが、もしもの場合の賠償責任にどのように備えるかは全く別の話であって、両者は分けて考えなければいけないハナシです。
ところで、同じような専門家責任を保障の対象とする保険商品として「税理士職業賠償責任保険(税賠保険)」というものもあります。
これはその名の通り、税理士が依頼を受けて税務相談や申告業務を行う際に生じる賠償責任を担保するための保険です。
税理士業界以外ではあまり知られていないのですが、この税賠保険はかなり免責事由(=保険会社が保険金を支払わなくてよいケース)が広く定められています。
たとえば、税理士業務上のミスで生じるであろう損害というとどういうものが頭に浮かぶでしょうか?
税理士の助言に従って所得税の申告をしたところ、その処理が課税当局に否認されてしまったというケース。税額が増える場合には修正申告(税通19Ⅰ)が必要になってしまいますが、結果として「本来払うべきだった税額よりも過少に申告していた」ということで過少申告加算税(同65Ⅰ)や延滞税(同60Ⅰ)が課せられます。
また、税理士の「非課税の範囲内ですよ」という間違ったアドバイスを信じて贈与税の申告をしなかったというケースでも、無申告加算税(同66Ⅰ)や延滞税(同60Ⅰ)の課税が生じます。
こういった場合、依頼者としては当然、依頼税理士に賠償してもらいたい(=損害賠償請求したい)と考えるでしょう。
ところが、このように税理士の間違った助言・指導で支払う羽目になった過少申告加算税や無申告加算税、不納付加算税(税通67Ⅰ)、延滞税、これらに相当する損害は全て税賠保険上免責扱いであり、保険金支払が行われません(こういった附帯税を課せられた納税者が自分の税理士に賠償請求するケースを想定しているので「○○に相当する損害」という表現になります。)。
※ちなみに、納税の延納等の場合の利子税(税通64Ⅰ)や悪質な過少申告と判断された場合の重加算税(同68Ⅰ)などに相当する損害も免責です。
税賠保険の保険金支払状況や保険金支払事例(事故事例)の情報はウェブ上で公開されているのですが、それをみると保険金支払の対象としては、たとえば「簡易課税選択届出書の提出失念(消費税)」「青色申告承認申請書の提出失念(所得税)」「欠損金繰り戻し還付請求書提出失念(法人税)」といったように、とるべき手続をうっかり忘れていたというケースがかなりの数を占めています。
http://www.zeirishi-hoken.co.jp/book/jikojirei_2016/index.html
2016年(平成28年)では支払件数が425件で支払総額が16億8000万円ほどですので、1件当たりの支払額は400万円弱ですか。低い額ではないんですが、それでもこの中には納税者に課せられたであろう過少申告加算税等の付帯税相当の損害は入っていないということです。
税理士の過誤という場面で真っ先に思いつきそうな損害が税賠保険の保障の対象になっていないという若干の違和感。
これは少し社会一般の人の理解としては納得しがたいところかもしれません。
税理士のミスによる損害であること自体は間違いないので、税理士に対する賠償請求が認められないというわけではありません。あくまでも「税理士に責任はあるけれども、税賠保険からは保険金は出ないよ」ということです。その場合はどうなるかというと、結局のところ、依頼を受けた(ミスをした)税理士や税理士法人が自腹で賠償金支払いをしなければなりません。
なぜ、「過少申告加算税等の附帯税相当の損害」が税賠保険の保障の対象から外されているのか。
保険商品ですから、当然、保険者の負うリスクと得られるプロフィットを勘案してという視点もあるでしょう。
ところが、もう一つ考えられる視点として、「そういった附帯税を税賠保険の保障の対象とすると、納税者の不誠実な申告を増やしてしまう」という政策的な配慮があるように思われます。
過少申告加算税、無申告加算税や重加算税、延滞税といった附帯税が課されるケースというのは、基本的に課税当局に否認される申告が行われる場合、もっと具体的にいえば、そもそも適正な課税標準、課税額ではない申告の場合です。そういった場合にも、課税当局に目をつけられた場合の附帯税の負担(リスク)を損害として転嫁できる保険商品があると、それを利用した上で、「通るか通らないかは別として」アウトな申告をしてみようという風潮が生まれるおそれはかなり高いといえます。
また、不当・不誠実な申告といっても、それが全件、100%当局によって発見・補足されるわけではありませんから、そういった「不誠実な申告」が横行するようになるとタックス・パリティー(課税の公平)の点でも大いに問題があります。そういったわけで、ああいった(一見すると)広範な免責事由が定められていると考えることができます。
税務の実務家の中には「単純ミスで生じる損害は自業自得なんだから税賠保険の対象にする必要はない。むしろ、過少申告加算税等の附帯税相当の損害は、税理士としてのチャレンジの結果生じる事態(=ある意味、「仕事をがんばった」結果)なんだから、むしろ税賠保険で対象にするべきではないか」という意見もまれに見られます。
これ自体、税理士の仕事のスタンスはよく表しているといえますが、いささか「保険」の理解を誤るものといわざるを得ません。
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